実践!道徳授業
そもそも道徳とは何か
お互いの価値観やモラルを、絶えず「相互承認」へと投げかけ吟味し合う経験や教育こそが大事。
どうすれば、しっかりと自己承認の土台となり、相互承認の感度が育めるような教育環境を整えられるか
ルールは、根本は人間どうしの相互承認に根をもつ、という感覚がだんだん理解できる仕方でルールを与えることが大事。
ルールの本質が理解されないと、みなで正しくルールを作り合うこともできない。
ルールというものは、本来自由を束縛するものではなくて、みんなが自由になるためのもの。
少しずつ自分たちで決めていく、つまり自治を拡大していく。ただどの領域でそれを委ねるか、またその自主的ルール決定が相互承認のもとに行われているかどうかは、あるところまでは大人が配慮してチェックする必要がある。
ルソー
デューイ
必須の教養として学ぶ
相互承認は対等な力関係がないところではなかなか成立しない。
社会構想と教育構想を対で考えていけない。
教育を考える場合は、近代社会の本質とそれが成熟してゆくための大きな展望を考え、この土台から教育の具体的な目標と、それを実現くるための諸条件を取り出していく、というのが教育論の展望のビッグピクチャー
近代社会の根本原則
教育の本質
学校で子どもにつけたい力は?
いろいろあると思う。
世の中は自分の思い通りにいかないことの方が多いことを学ばせる。
という声を聞いたけど、本当にそうかな?
先生になったわけ
祖父が天国に行った。
顔をみて、ふと、ピースがはまった。
ぼくが先生になった理由。
家に行くたびに聞かされていた祖父の先生時代の思い出。
そこになんだか憧れていたんだ。ぼくはおじいちゃんみたいに愛される人になりたかったんだ。自分の仕事に誇りをもって語れる、そんな人になりたかったんだ。
そう気づいた。
今まで先生になったのは、子どもが好きだからとか、教えるのが好きだからとか、子どもの人生に関われるからとか、いろいろ思ってたけど、1番の理由はおじいちゃんの存在だったんだ。おじいちゃんみたいになりたい。なぜだか死んでからそう思った。
直接伝えたかったな。
よい日
今日はなんだかすっごくいい日。
永田台の小学校も参観できて、ライブにもいけて、小学校に残したこどもたちはとってもがんばってて。
あー、おれもがんばろ。
今日急にあなたは何を目指す?野望はなに?って聞かれたときにうまく答えられなかった。
おれが目指すのは、地域にちゃんと位置付いている教師。ちゃんとっていうことを言語化すると…
地域にちゃんと存在して、地域を良くする活動に積極的に参加して、どこでどんな人にあっても、堂々としていて、あいさつもして、話しかけられるような人になりたい。自分の住む地域を良くできるような人になりたい。
地域の人と仲良く、学校にきてもらって…学校を通して地域もよくしていきたい。
でもまずは、自分が一番近く接しているこどもたちや先生たち、学校をより良くしたい。
ただの願いだけぉ、しっかり芯の奥底にしまっておこう。
なんだかそう思えた一日。
大切にしよう。
研究会とは
今学校で行われてる研究部会は、
やっぱり、授業者の一人の負担が大きい。授業者がレジュメを用意してそれをみんなで見返してあれこれ言う。
これは添削の場?指導の場?
やっぱり研究はこれとは違うものだと思う。
研究とは、みんなでより良いものをつくること。
どんな授業がよいのか、みんなで話し合って、試してみて、また話し合って、試してみて、記録を蓄積していく。それを学校の財産にしていく。
なんのための研究か。
授業者の先生は本当によく考えてレジュメをつくってるし、よく考えている。
授業者が考えていること…
道徳的価値を深めるために
⑴本音を話したくなるような教材
⑵気楽に話し合える場づくり
⑶立ち止まって考えられる発問
⑷子どもが理解しやすい資料提示の方法
の4つを大事にしたいみたい。
じゃあ具体的な方法はどうするのか、みんなで話し合えたらなぁ。もったいないなぁ